石橋犀水先生の『印』は 同時代の頂点でご活躍の篆刻作家との交流があり兆一流の篆刻家に印を作らせたいた様子が伺えますね!
犀 水
1970年 小林斗盦( こばやし-とあん)作
小林斗盦
1916-2007 昭和-平成時代の篆刻家,書家。
大正5年2月23日生まれ。
河井せんろ,西川寧(やすし)に学ぶ。
平成5年芸術院会員。
10年文化功労者。
16年文化勲章。
平成17年8月13日死去。91歳。
文鳳閣主
内藤香石作 1982年
1908-1986 昭和時代の篆刻(てんこく)家。
明治41年2月26日生まれ。
石井双石にまなび,2度中国へ留学し文字学を研究。
戦後,毎日書道展運営委員,日展審査員などをつとめる。
日本刻字協会の設立にくわわり,のち会長。
昭和61年7月21日死去。
78歳。山梨県出身。
立大卒。名は重夫。
著作に「印章世界史」など。
犀水魚徒
1970年 石井 雙石 作
石井 雙石(いしい そうせき)、昭和期の日本の篆刻家.書家。
石井 雙石 千葉県山武郡大網白里町の人。
名は石松、のちに碩と改名します。
雙石は号。一説に姓と名に石が二つあることから命名しました。
明治28年陸軍教導団に入隊する。
この頃から篆刻に興味をもちはじめ、明治30年(1897)に日本新聞の懸賞に応募して二席となる。
37、8年日露戦争に従軍し、その後、我流を反省して、五世浜村蔵六に入門、蔵六没後は「河井荃廬」の益を受ける。
42年軍属となり、北海糧秣廠に12年間勤務した。
この折、当地札幌の岡田翠渓に印判に関する一切を習う。
44年より長思印会を興して雑誌『雕蟲』を発行、昭和18年まで続け、篆刻の普及に努めるとともに、後進の育成にあたった。
大正12年より篆刻を生業として、漢文を岩渓裳川、説文を川合孝太郎、書を日下都鳴鶴に学ぶ。
昭和6年東方書道会に参画、篆刻部の重鎮となる。
日展にも参画し、審査員をつとめた。
彼は篆書の探求を続け、正確な字体を自分のものにした上、文字の線の美しさ、鋭い刃の切れ味を見せた、万に近い篆刻作品を制作した。
明治神宮朱印、皇大神宮印から、東京大学印、同学長印、文部省印、千葉県知事印などがあげられ、棟方志功、石井柏亭などの作家印も残した。
「篆刻指南」「雙石脱印」などの著書もある
犀 水
中村蘭台 作
初世中村蘭台は安政3年1月に、福島県の会津若松で会津藩士の子として生まれました。
蘭台は20歳を過ぎた頃から篆刻に興味を持ち、初め高田緑雲(文政9~明治31)から教えを受け、のち明清の諸家のものを学び、明治23年頃から徐三庚に心酔し作風が一変。
その後、さらに秦漢古印、鐘鼎文、瓦磚文や浙派の研究を深め、蘭台独自の刻風を打ち立て多彩な作品を数多く制作。
そして明治35年と43年に、二度にわたって脳充血が発病し、身体の自由が奪われますが、その影響がかえって作品に深みを加えていきます。
しかし大正4年11月ついに脳溢血で59歳の生涯を閉じることになります。
中村家は子の中村蘭台二世と孫の中村淳(平成17年12月逝去)の三代続いた篆刻一家です。
尚、中村蘭台二世は名前が秋作であったことから初世と混同されないよう落款を蘭台秋としています。
石橋啓印
新井琢斎 作
新井琢斎(1887~1949).
昭和7年新井琢斎に師事(篆刻)。
昭和15年仁賀保香城に師事(漢詩)。
昭和27年大東 書道院創立。
昭和32年日展特選受賞。
昭和33年日展特選受賞
呉 昌碩 作
(1844年9月12日 – 1927年11月29日)
呉 昌碩は中国の清朝末期から近代にかけて活躍した画家、
書家、篆刻家。清代最後の文人といわれ、詩・書・画・篆刻ともに精通し、「四絶」と称賛され、中国近代でもっとも優れた芸術家と評価が高い
常盤織之助 作
常盤織之助
犀水千字文に押印されている。
石橋犀水先生愛用の 落款印です。
落款印は『常盤織之助』の作
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